ロマンを求めて

さみぃ

2024年03月27日 15:29

『ガリンペイロのすべての若き野郎ども』
FMたまん(76.3MHz)毎週水曜21時から55分間の生放送!


80年代特集のラストを飾る今夜は!
「ザ・ムーディー・ブルース」12作目のアルバム(ライブ、ベスト盤を除く)
「シュール・ラ・メール」(1988年)から曲をお届けします。



昨年12月に、ムーディー・ブルースでリード・ボーカルとギターを務めたデニー・レインが亡くなり、
ポール・マッカートニーが哀悼の意を表明していましたが、
デニーは1stアルバムでムーディー・ブルースを脱退しています(ベースのワーウィックも)。
60年代は自分のグループをつくったり、ジンジャー・ベイカーのバンドに入ったり、どちらも短命に終わっています。
70年代はポールに誘われて「ウイングス」に参加。常にポールを支える存在となりました。
なので、ネット記事にムーディーのボーカルとして活躍した・・・と書かれましたが、
ウイングスでポールを支え、時代を築いたギタリストと、書けばいいのになぁ・・・と思った次第。


ジャスティン・ヘイワード(ボーカル、ギター)、ジョン・ロッジ(ベース)が加入。
ムーディー・ブルースは、それまでの路線から大きく舵を切ります。
67年にロンドン交響楽団との共演による2ndアルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」を発表。
ロックとクラシックの融合を図り、「サテンの夜」もヒットしました。
さらにメロトロンやシンセを導入し、アルバムをひとつの作品として綿密に作りあげていきます。

プログレッシヴ・ロックと呼ばれる音楽の黎明期を担ったバンドとして、頂点に君臨したのです。
日本の洋楽ファンの多くが彼らの名前を知ったのは、デニー脱退後の2ndアルバムからなのです。

70年代、一世を風靡したプログレ勢も時代の波に押される中、
ムーディー・ブルースは次第にアメリカナイズされたポップな路線へとシフトしていきます。

しかしそれは決して、安っぽい音楽ではありません。これまで同様にロマンを求めた質の高いサウンドでした。
ゆえに、ここからまた、チャートインする作品を残していきます。本作はその時代のアルバムです。

僕が大学生の頃、現在のように
溢れんばかりの情報を気軽に検索などできる時代ではありません。

アメリカの映画やドラマもビデオで借りる時代です。
その作品中で、度々、ムーディー・ブルースを目撃しました。
子ども部屋にムーディー・ブルースのポスターが貼られていたり、
劇中の親子が「今年もムーディー・ブルースのコンサートに行こう!」
なんてセリフを聞いて、プログレ以降も確実に足跡を残したんだなぁと、感じたものです。

長命の理由は、やはりグループに複数のソングライターがいた事、ヘイワードとロッジです。

ローリング・ストーンズやキンクスに並ぶ、キャリアの長いムーディー・ブルースでしたが、
解散を表明することはなく、メンバーの死去により、現在は活動していません。 
ロマン溢れる音楽を沢山残してくれました。感謝です。

先週のヘッズもそうですが、ムーディーズも、実は、アコギをここぞというところで使うんです。

若い頃は、エレキギター持てばいいのに、なんて散々言われましたが、
僕がアコギを持ち歌うのは、ヘッズやムーディーのように、ロック音楽の中でカッコよくアコギを鳴らしたい! 
そんな気持ちが強かったのかもしれません。

意識はしていませんでしたが、この2週、聴き直していて感じた次第です。 

今週も宜しくお願いいたします。