沖縄サヴァイヴ

singer songwriter 安仁屋雅実 :ガリンペイロでの音楽活動・FMたまんDJ・紀州犬・子育て・ラグビー・波乗りの話 etc   

今夜のラジオ

『ガリンペイロのすべての若き野郎ども』
FMたまん(76.3MHz)毎週水曜21時から55分間の生放送!

ジミー・スコット特集・最終回
今夜は1962年に発表された幻のアルバム
「フォーリング・イン・ラヴ・イズ・ワンダフル」を紹介していきます。
今夜のラジオ



ライオネル・ハンプトン楽団のシンガーとして活躍しヒット曲も出し、
聴衆も共演するミュージシャンをも魅了したジミー。
その後、独り立ちし、レコードも売れたのですがレーベル優位の契約で彼のもとにはお金は殆ど入りませんでした。
実力のある歌手でレコードも売れているのに、生活のために各地を回ってライヴをする日々・・・。

「ソウル・ミュージックという言葉が使われる前から、ただ一人、最初からジミーの歌にはソウルがあった!」
そう評価したのは、すでにスターだったレイ・チャールズです。

レイは自分のレーベル、タンジェリンを立ち上げた際に、第一弾作品として
ジミー・スコットに声を掛けます。
ジミーの歌声に惚れ込んでいたレイはピアノ伴奏に徹し、ジミーの魅力を存分に引き出しました。
こうして、誕生したのが本作です。
本作はラジオ局に持ち込まれると、たちまち評判となります! が!
以前、ジミーが契約していたサヴォイの社長が、「ジミーはうちの契約歌手だから、他社でのレコード発売は許されない!契約違反だ!」として横やりを入れます。まともな金銭も払わず、ジミーの歌い方に合った楽曲を提供することもなかったのにです。
レコードは回収され、幻の作品となってしまいます。
その後も、実力のあるシンガーですからアルバム制作が企画されますが、事あるごとにジミーのレコードリリースは阻止され、飼殺し状態のまま、ジミーは音楽業界から干され続けました。
こうして、知る人ぞ知る伝説のシンガーとなってしまいました。

ジミーが亡くなってからでは遅い!
ドクを筆頭に多くの方が尽力し、ジミーは90年代にやっと表舞台に帰ってきました。
60代後半で「発見」されたジミーの才能は世界中の音楽ファンを魅了、アルバムを次々にリリース!
ついには幻の作品だった本作もリリースされる事になります。

「私は、このアルバムを誇りに思っている。60年代初期にジミー・スコットをプロデュースさせてもらったんだ。
全曲でピアノを弾かせてもらったことも光栄に思う。
音楽史に確固たる地位を築いた人のバックを務めたんだから」― レイ・チャールズ

時間の許す限り曲を掛けて参ります。
今週も宜しくお願い致します!

 
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沖縄のバンド『ガリンペイロ』のアコギ使いにしてボディーボーダー。 自然をこよなく愛する野生児。   
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