2006年08月04日
続・タイ麻薬撲滅コンサート
ガリンペイロがタイ麻薬撲滅コンサートを行ったのは2004年3月のこと。少数民族が麻薬などの生産に関わらず自立しようと呼びかけ、併せて、ラフ族の自立の為の農業支援、山の子ども達の教育支援に理解を求め、募金も呼びかけた。僅か2週間足らずではあったが、非常に密度の濃いタイ遠征となった。ダイエ氏と再会を誓い、僕らで出来ることがあれば協力したいと語り合った。 帰国後、ガリンペイロの亀浜がダイエ氏に依頼し、ラフ伝統のカバン、お茶などを取り寄せ、多くの方に募金を呼びかけた。現地で販売している価格や送料を考慮計算、僕も僅かながら協力し15万円以上の善意の寄付金を集めることができた。僕が担当したCM制作収入も寄付金にあてることが出来た。その後、2005年1月にタイ山岳地帯の少数民族 ラフ族の青年リーダー ダイエ・セリー氏が再び来沖した。
沖縄でのラフ族支援チャリティー活動の忙しいスケジュールの中、僕らのライブ会場にも足を運んでくれたダイエさん。 翌日は我が家で再会の宴を催して、寄付金はその時に全額、直接、ダイエ氏に手渡すことが出来ました。この場をお借りして温かい寄付をされた皆様に心よりお礼申し上げます。
山の子ども達は平地の小学校に通うために寮生活をしています。食費などに掛かる費用(宿泊費はほとんど取っていないようで、ダイエさんのお姉さんが世話をしています。)は年間約5千円ほどですが、その費用もなく学校に通えない子どもたちも多いんです。というのも、ダイエさんたちのラフ族は標高1500mの山岳地帯 ローチョー村に住んでいるからです。タイ政府に「村」と認められたのも僕らが訪れる少し前のことで、ようやく、水道(川から)電気がきたとのことでした。雨季になると道は悪路(3月に訪れた僕らですが充分悪路でした)となり、車も通れなくなり通学出来なくなるのです。タイ政府に村と認定されたことから、ローチョー村にも簡易的な学校が出来ました(ブロック立ての平屋が2棟ほど)。 平地の学校に通えない子どもたちや、小学校入学前の子供たちが学んでいます。でも雨季になるとやはり前述通り、車で先生が通勤出来なくなり休校状態になってしまいます。そのためダイエさんは平地にメタム寮を作り子どもたちの教育に尽力しているのです。
ローチョー村ではラフ伝統のかばんや、小物、洋服を製作し観光客に販売したり、野生のお茶を刈り取り、お茶を生産しています。バナナやマンゴーなどもありましたが、換金作物としては成り立っていない様子で、ちょうど僕らの滞在中に、ダイエ氏と知り合った日本人の大学教授などが学生を引き連れてフィールドワークをし、決め手となる換金作物を模索している最中でした。平地のタイ人と比べるとやはり賃金を稼ぐ機会がまず、あまりない現状だと思います。そこでダイエ氏は平地に大規模な農場を作り、村のラフ族の青年に技術指導を行っているのです。それにより、山での生産能力の向上や、働く場所を提供しているのです。農場にはミシンも設置し、伝統の衣服も生産できるようにしています。観光客にすがるのではなく自立の道を探りながら前進しているダイエさん。その心意気には久しぶりに身が震えるほどの感動を覚えました。「まさみちゃんたちの歌は僕らをハッピーな気分にしてくれます。沖縄のサンシンも素敵です。」と、言ってくれたダイエさん。感謝です。おかげで僕もサンシンを弾く機会を得ました。これからも僕らは、僕らなりの、単にお金を寄付するとかじゃなく、心の交流を継続していきたいと思っています。僕らのライブ会場でも、ラフ族の伝統的なカバンを販売していますので興味のある方は声を掛けてください。もちろん、全額、直接、ダイエさんへ寄付金は届けられます。皆様もどこかで、タイ山岳地帯の少数民族 ラフ族のことを目にした際には、立ち止まってみてください。ラフ族を倭人と記してある書もありました。かつて、琉球王朝は倭人と組んで交易を成していたという歴史学者もいます。僕は少なからず、何かの縁を感じるのです。
寄付金贈呈式
沖縄でのラフ族支援チャリティー活動の忙しいスケジュールの中、僕らのライブ会場にも足を運んでくれたダイエさん。 翌日は我が家で再会の宴を催して、寄付金はその時に全額、直接、ダイエ氏に手渡すことが出来ました。この場をお借りして温かい寄付をされた皆様に心よりお礼申し上げます。
山の子ども達は平地の小学校に通うために寮生活をしています。食費などに掛かる費用(宿泊費はほとんど取っていないようで、ダイエさんのお姉さんが世話をしています。)は年間約5千円ほどですが、その費用もなく学校に通えない子どもたちも多いんです。というのも、ダイエさんたちのラフ族は標高1500mの山岳地帯 ローチョー村に住んでいるからです。タイ政府に「村」と認められたのも僕らが訪れる少し前のことで、ようやく、水道(川から)電気がきたとのことでした。雨季になると道は悪路(3月に訪れた僕らですが充分悪路でした)となり、車も通れなくなり通学出来なくなるのです。タイ政府に村と認定されたことから、ローチョー村にも簡易的な学校が出来ました(ブロック立ての平屋が2棟ほど)。 平地の学校に通えない子どもたちや、小学校入学前の子供たちが学んでいます。でも雨季になるとやはり前述通り、車で先生が通勤出来なくなり休校状態になってしまいます。そのためダイエさんは平地にメタム寮を作り子どもたちの教育に尽力しているのです。
ローチョー村ではラフ伝統のかばんや、小物、洋服を製作し観光客に販売したり、野生のお茶を刈り取り、お茶を生産しています。バナナやマンゴーなどもありましたが、換金作物としては成り立っていない様子で、ちょうど僕らの滞在中に、ダイエ氏と知り合った日本人の大学教授などが学生を引き連れてフィールドワークをし、決め手となる換金作物を模索している最中でした。平地のタイ人と比べるとやはり賃金を稼ぐ機会がまず、あまりない現状だと思います。そこでダイエ氏は平地に大規模な農場を作り、村のラフ族の青年に技術指導を行っているのです。それにより、山での生産能力の向上や、働く場所を提供しているのです。農場にはミシンも設置し、伝統の衣服も生産できるようにしています。観光客にすがるのではなく自立の道を探りながら前進しているダイエさん。その心意気には久しぶりに身が震えるほどの感動を覚えました。「まさみちゃんたちの歌は僕らをハッピーな気分にしてくれます。沖縄のサンシンも素敵です。」と、言ってくれたダイエさん。感謝です。おかげで僕もサンシンを弾く機会を得ました。これからも僕らは、僕らなりの、単にお金を寄付するとかじゃなく、心の交流を継続していきたいと思っています。僕らのライブ会場でも、ラフ族の伝統的なカバンを販売していますので興味のある方は声を掛けてください。もちろん、全額、直接、ダイエさんへ寄付金は届けられます。皆様もどこかで、タイ山岳地帯の少数民族 ラフ族のことを目にした際には、立ち止まってみてください。ラフ族を倭人と記してある書もありました。かつて、琉球王朝は倭人と組んで交易を成していたという歴史学者もいます。僕は少なからず、何かの縁を感じるのです。
寄付金贈呈式
2006年07月27日
タイ山岳地帯 少数民族 ラフ族 その7
終わりに
山岳民族は多くの問題を抱えている。政府の国立公園保護政策や麻薬対策、植林事業による強制移住、及び農業や採集生活が出来なくなるという不安、さらには現金を求めて生活も激変していっている。そんな中、ダイエ氏が教育や農業に力を入れ、様々な人たちと交流を持ち、前進している姿には圧倒される。また祖先は共通しているんじゃないかと、生活を共にしていて感じたし、現状も沖縄と酷似している。タイの自然を破壊したのは高度経済時の日本であることは間違いない。沖縄の自然を破壊しているのも本土資本である。我々沖縄は、言葉、風習を否定されその多くを失った。私には現在の沖縄の姿が、ラフ族の未来に重なって見えた。しかし、沖縄がその精神性まで失っていないようにラフ族もまた、ラフの誇りと共に現代社会の荒波の中、闘っていけると信じたい。
最後に私なりに調べた結果、ラフ族がダイエ農場のように山から下り、平地で大規模農業の北タイ人を相手にやっていくには、無理があると感じた。しかし、ダイエ氏のやっている事には意味があるし、一族の希望として先頭に立つべき人物であると思う。しかし、多くの人は山から下りる事は出来ないだろう。ならばあの山を活用するしかない。同じく焼畑や開発により原生林を失っているアマゾンに目を向けて欲しい。ここでは今も森を切り開き、焼畑をしている。が、その一方で新しい森を焼かずにすむ研究が進んでいる。まず今ある畑を焼く。その灰を肥料にトウモロコシ、イネを植える。2年後にまた焼き、今度はコーヒー(ローチョー村にもある)、コショウ、バナナ、パパイヤ、ランブータン(東南アジア原産)、カカオ、ゴム、ブシュリ、アサイヤシなどを植えるのだ。混植による畑は歳月とともに、森を形成していく。30年後には見事な森に育っている。これはアグロフォレストリー(森林農業)と呼ばれブラジルでは国を挙げて研究に力を入れている。最近の研究でアグロフォレストリーには原生林に近い生態系が戻っていることが分かっている。作物にとって害虫となるものもいるが、その天敵もちゃんと生息している。つまり、作物が病気になりにくく、農薬を使用したための悪循環の弊害がなくなるのである。ローチョー村とアマゾンのアグロフォレストリーは、焼畑をすること、農薬を使用しない点や、また実際に作っている作物に共通点が多くある。ロイヤルプロジェクトや山岳民族福祉局、今まで協力してきたNGO団体などに是非一度意見してみたらどうだろうか。あの山が再び、緑深き森林になるのも夢ではない。
ダイエさん、エミィおばさん、イエラミさん、ユシさん、アンディさん、アベさん、コォーエーさん、エーカエさん、イリエさん、バイさん、ウィリパーさん、キマーミさん、アゲ、アチョン、ピッチャイに幸あれ!
安仁屋雅実

用語解説
アニミズム:ラテン語の「アニマ」に由来する語で「霊魂」を意味すると考えられている。主として肉体や事物等に宿っているが時にはこれら物体から独立して存在しうる非物質的・霊的存在への信仰をさす。
NGO:開発途上国の生活レベルなどに合わせて、援助活動を行う非営利民間団体のこと
タクライ:タイ国内で活動する個人ボランティアのネットワーク
参考文献:「雲南の少数民族」主編 宋恩常 中国雲南人民出版社
日本放送出版社
「世界の民族と生活⑫」著者ヴォルフ・キーリッヒ 1981年
「原弥生人の渡来」著者 鳥越憲三郎 昭和56年
「雲南からの道」日本人のルーツを探る 著者 鳥越憲三郎
「中国南部少数民族誌」著者 鈴木正宗 1985年
ラフ語
オボウジャ:ありがとう。挨拶代わりに使用。
ンノォアマメリィー:あなたは?ヨーメーで通じた。
ンガァオメー:私は ナーオメーで通じた。
オメダジャレオヨ:いい名前ですね
ラド:お茶。イカ:水。マド:飲まない。オチャ:食事
ホォジャ:辛い、熱い。チッジャ:食べ物、飲み物が熱い。
ンガペ オラ:これ欲しい。オッティヨー:そうなの(マースガベーもあり。) メジャ:おいしい。ジャブージャ:お腹いっぱい。
オムウェ:お腹すいた? アペ:きゅうり。オーテーベー:おかゆ
ツートマレー ラフ:ラフでなんていうの? ズゥドォ:酒飲む。グダ:乾杯。ピオジャー:楽しい。
ラオ:ウイスキー。カオ:米 ガジャ アミレビ:寒い 火にあたる
カニナニレ:何時? ズムガァ:眠い。 ショポ:明日。
アミャー ドゥジャ:昨日呑みすぎ。 オパ:父。オマ:母。
ソーコモダー:またね。 ネコーコモダー:来年会いましょう。
ディックローシェー:ちょっと待って。ウィメシャー:さよなら。
ズチャッピィ:トイレ。 カマデ:いくら?
ディコォ カップジャ:唄うまいね。 ゴォジャ:涼しい。
クエデピオラ:ただいま
テチマヘ:心配ない!大丈夫。なんくるないさ
山岳民族は多くの問題を抱えている。政府の国立公園保護政策や麻薬対策、植林事業による強制移住、及び農業や採集生活が出来なくなるという不安、さらには現金を求めて生活も激変していっている。そんな中、ダイエ氏が教育や農業に力を入れ、様々な人たちと交流を持ち、前進している姿には圧倒される。また祖先は共通しているんじゃないかと、生活を共にしていて感じたし、現状も沖縄と酷似している。タイの自然を破壊したのは高度経済時の日本であることは間違いない。沖縄の自然を破壊しているのも本土資本である。我々沖縄は、言葉、風習を否定されその多くを失った。私には現在の沖縄の姿が、ラフ族の未来に重なって見えた。しかし、沖縄がその精神性まで失っていないようにラフ族もまた、ラフの誇りと共に現代社会の荒波の中、闘っていけると信じたい。
最後に私なりに調べた結果、ラフ族がダイエ農場のように山から下り、平地で大規模農業の北タイ人を相手にやっていくには、無理があると感じた。しかし、ダイエ氏のやっている事には意味があるし、一族の希望として先頭に立つべき人物であると思う。しかし、多くの人は山から下りる事は出来ないだろう。ならばあの山を活用するしかない。同じく焼畑や開発により原生林を失っているアマゾンに目を向けて欲しい。ここでは今も森を切り開き、焼畑をしている。が、その一方で新しい森を焼かずにすむ研究が進んでいる。まず今ある畑を焼く。その灰を肥料にトウモロコシ、イネを植える。2年後にまた焼き、今度はコーヒー(ローチョー村にもある)、コショウ、バナナ、パパイヤ、ランブータン(東南アジア原産)、カカオ、ゴム、ブシュリ、アサイヤシなどを植えるのだ。混植による畑は歳月とともに、森を形成していく。30年後には見事な森に育っている。これはアグロフォレストリー(森林農業)と呼ばれブラジルでは国を挙げて研究に力を入れている。最近の研究でアグロフォレストリーには原生林に近い生態系が戻っていることが分かっている。作物にとって害虫となるものもいるが、その天敵もちゃんと生息している。つまり、作物が病気になりにくく、農薬を使用したための悪循環の弊害がなくなるのである。ローチョー村とアマゾンのアグロフォレストリーは、焼畑をすること、農薬を使用しない点や、また実際に作っている作物に共通点が多くある。ロイヤルプロジェクトや山岳民族福祉局、今まで協力してきたNGO団体などに是非一度意見してみたらどうだろうか。あの山が再び、緑深き森林になるのも夢ではない。
ダイエさん、エミィおばさん、イエラミさん、ユシさん、アンディさん、アベさん、コォーエーさん、エーカエさん、イリエさん、バイさん、ウィリパーさん、キマーミさん、アゲ、アチョン、ピッチャイに幸あれ!
安仁屋雅実

用語解説
アニミズム:ラテン語の「アニマ」に由来する語で「霊魂」を意味すると考えられている。主として肉体や事物等に宿っているが時にはこれら物体から独立して存在しうる非物質的・霊的存在への信仰をさす。
NGO:開発途上国の生活レベルなどに合わせて、援助活動を行う非営利民間団体のこと
タクライ:タイ国内で活動する個人ボランティアのネットワーク
参考文献:「雲南の少数民族」主編 宋恩常 中国雲南人民出版社
日本放送出版社
「世界の民族と生活⑫」著者ヴォルフ・キーリッヒ 1981年
「原弥生人の渡来」著者 鳥越憲三郎 昭和56年
「雲南からの道」日本人のルーツを探る 著者 鳥越憲三郎
「中国南部少数民族誌」著者 鈴木正宗 1985年
ラフ語
オボウジャ:ありがとう。挨拶代わりに使用。
ンノォアマメリィー:あなたは?ヨーメーで通じた。
ンガァオメー:私は ナーオメーで通じた。
オメダジャレオヨ:いい名前ですね
ラド:お茶。イカ:水。マド:飲まない。オチャ:食事
ホォジャ:辛い、熱い。チッジャ:食べ物、飲み物が熱い。
ンガペ オラ:これ欲しい。オッティヨー:そうなの(マースガベーもあり。) メジャ:おいしい。ジャブージャ:お腹いっぱい。
オムウェ:お腹すいた? アペ:きゅうり。オーテーベー:おかゆ
ツートマレー ラフ:ラフでなんていうの? ズゥドォ:酒飲む。グダ:乾杯。ピオジャー:楽しい。
ラオ:ウイスキー。カオ:米 ガジャ アミレビ:寒い 火にあたる
カニナニレ:何時? ズムガァ:眠い。 ショポ:明日。
アミャー ドゥジャ:昨日呑みすぎ。 オパ:父。オマ:母。
ソーコモダー:またね。 ネコーコモダー:来年会いましょう。
ディックローシェー:ちょっと待って。ウィメシャー:さよなら。
ズチャッピィ:トイレ。 カマデ:いくら?
ディコォ カップジャ:唄うまいね。 ゴォジャ:涼しい。
クエデピオラ:ただいま
テチマヘ:心配ない!大丈夫。なんくるないさ
2006年07月27日
タイ山岳地帯 少数民族 ラフ族 その6
ローチョー村
ダイエ氏の父、故ヤパ・ローチョー氏が一族を率い、中国からビルマを経て、約20年前に辿り着いた土地である。(ラフ・ナ族にあたる)場所は前述したが、メタムから西へ山道を20Km登った所で、車で1時間かかる。村落は標高約1200mの尾根に形成されている。ダイエ氏が幼少の頃は深い森林に覆われた緑豊かな場所だったそうだ。山にはお茶(ラド)が自生している。お茶が豊富にあるので生活出来るだろうと、ここに住み着いたそうだ。虎や鹿、猪、猿などの動物も獲ったらしいが、現在はかつての焼畑により木々は消滅し巨木は殆どない。よって動物の姿を見ることもなかった。私達は演奏後、村で一泊し、翌朝ダイエ氏の案内で村を散策した。急斜面を下っていくと、その斜面には大きなお茶の木が点在していた。一度、山焼きし、その灰を肥料に又お茶が生えてくるとのこと。私達が見ているのが、最初に焼いた場所で20年以上経った木で、見事なお茶であった。自生のため密生している所と、そうでない所があり、間隔の空いた所には梅、スモモを植えていた。斜面を降りると、グァバ、ナシ、バナナ、自生のマンゴーがあり、竹炭を作っている所や、お茶を乾燥させる工場(といっても広場)がある。ヨモギもあったが薬草として使用するだけで食さないとのことだった。川と谷間を境界線に、隣がアカ族の村で、畑の場所を取り決めている。 畑はまず焼畑をし、そこにショウガ、トウモロコシを植える。(換金作物)3年使うとまた焼いて、今度は果物を植えるらしい。前述した梅、グァバ、ナシ、バナナはそうして植えられたものである。新しく森林を切り開くことは厳しく禁じられているし、換金作物を植え、痩せた畑をそのままにしておくと、政府に取り上げられるらしい。それで果物を植えるようにと農林省からの指導があるそうだ。しかし現在は、この村周辺がロイヤルプロジェクトの対象地域になっているので森林局が勝手に木を植えることは出来ない。つまり、プロジェクトでは村人がここに住み農業を営むことを推奨しており、化学肥料や農薬を使わない農業を指導しているようだ。 昨年、ローチョー村は正式に政府に村として認められ、支援金も10~30万B貰え、困ったことがあれば、山岳民族福祉局が村に協力してくれるようになった。山岳民族は国籍をなかなか貰えず、そのことが社会進出出来ないネックになっているのだが、ダイエ氏が様々な日本人の方と20年前から交流してきたことにより、日本のNGOなどの協力により、国籍問題は解決に向かっているとのことである。 お茶摘みの収入は1日70~80B、1ヶ月2000B前後。チェンマイに出て働いて1ヶ月3900Bで、そこから家賃、食費を引くと考えると、村での仕事の方が良い。しかし考えてみよう。年収が2~3万B(日本円にして6~7万円)で、これは平地で農業を営んでいるタイ農民の十分の一の年収である。国内でこれだけの格差があるわけである。(バンコクとは更にある。山岳民族の年収は大卒の月収並)そこで、ダイエ氏がラフ族の生活向上のために、尽力しているわけである。もう一つの収入源は女性たちの織物である。小物から鞄まである。現地に訪れた人に50~250Bで販売している。このカバンを沖縄で、私達のライブ会場で販売していきたいとメンバー同士、ダイエ氏と話したがまだどうなるかは分からない。このことで、ラフの調和を崩すことがあってはならないし、熟慮は必要である。やはり、唄を楽しんでもらうという、文化的交流が私達にできる真の国際貢献であると感じた。
(山の風景)







ローチョー村の子どもたち。みんな明るく、僕らの歌を楽しみに待っててくれた。
ダイエ氏の父、故ヤパ・ローチョー氏が一族を率い、中国からビルマを経て、約20年前に辿り着いた土地である。(ラフ・ナ族にあたる)場所は前述したが、メタムから西へ山道を20Km登った所で、車で1時間かかる。村落は標高約1200mの尾根に形成されている。ダイエ氏が幼少の頃は深い森林に覆われた緑豊かな場所だったそうだ。山にはお茶(ラド)が自生している。お茶が豊富にあるので生活出来るだろうと、ここに住み着いたそうだ。虎や鹿、猪、猿などの動物も獲ったらしいが、現在はかつての焼畑により木々は消滅し巨木は殆どない。よって動物の姿を見ることもなかった。私達は演奏後、村で一泊し、翌朝ダイエ氏の案内で村を散策した。急斜面を下っていくと、その斜面には大きなお茶の木が点在していた。一度、山焼きし、その灰を肥料に又お茶が生えてくるとのこと。私達が見ているのが、最初に焼いた場所で20年以上経った木で、見事なお茶であった。自生のため密生している所と、そうでない所があり、間隔の空いた所には梅、スモモを植えていた。斜面を降りると、グァバ、ナシ、バナナ、自生のマンゴーがあり、竹炭を作っている所や、お茶を乾燥させる工場(といっても広場)がある。ヨモギもあったが薬草として使用するだけで食さないとのことだった。川と谷間を境界線に、隣がアカ族の村で、畑の場所を取り決めている。 畑はまず焼畑をし、そこにショウガ、トウモロコシを植える。(換金作物)3年使うとまた焼いて、今度は果物を植えるらしい。前述した梅、グァバ、ナシ、バナナはそうして植えられたものである。新しく森林を切り開くことは厳しく禁じられているし、換金作物を植え、痩せた畑をそのままにしておくと、政府に取り上げられるらしい。それで果物を植えるようにと農林省からの指導があるそうだ。しかし現在は、この村周辺がロイヤルプロジェクトの対象地域になっているので森林局が勝手に木を植えることは出来ない。つまり、プロジェクトでは村人がここに住み農業を営むことを推奨しており、化学肥料や農薬を使わない農業を指導しているようだ。 昨年、ローチョー村は正式に政府に村として認められ、支援金も10~30万B貰え、困ったことがあれば、山岳民族福祉局が村に協力してくれるようになった。山岳民族は国籍をなかなか貰えず、そのことが社会進出出来ないネックになっているのだが、ダイエ氏が様々な日本人の方と20年前から交流してきたことにより、日本のNGOなどの協力により、国籍問題は解決に向かっているとのことである。 お茶摘みの収入は1日70~80B、1ヶ月2000B前後。チェンマイに出て働いて1ヶ月3900Bで、そこから家賃、食費を引くと考えると、村での仕事の方が良い。しかし考えてみよう。年収が2~3万B(日本円にして6~7万円)で、これは平地で農業を営んでいるタイ農民の十分の一の年収である。国内でこれだけの格差があるわけである。(バンコクとは更にある。山岳民族の年収は大卒の月収並)そこで、ダイエ氏がラフ族の生活向上のために、尽力しているわけである。もう一つの収入源は女性たちの織物である。小物から鞄まである。現地に訪れた人に50~250Bで販売している。このカバンを沖縄で、私達のライブ会場で販売していきたいとメンバー同士、ダイエ氏と話したがまだどうなるかは分からない。このことで、ラフの調和を崩すことがあってはならないし、熟慮は必要である。やはり、唄を楽しんでもらうという、文化的交流が私達にできる真の国際貢献であると感じた。
(山の風景)







ローチョー村の子どもたち。みんな明るく、僕らの歌を楽しみに待っててくれた。
2006年07月27日
タイ山岳地帯 少数民族 ラフ族 その5
ガリンペイロ ライブについて
ライブは大きく分けて4回やり、そのどれも成功だった。まず、バンコクでは、同志社大学神学者で牧師でもある原先生の呼びかけで、多くの在タイ日本人の方に出会うことが出来た。小田哲郎氏、中村真珠氏のブッキングにより「Tokyo Joe’s」にて3月15日に行った。寄付も多く集まり、私達のCDの売り上げ5000Bも全額寄付することができた。バンコクの情報誌に多数掲載(the Voice Mail誌、DACO誌、週間ベイスポなど)されたこともあり、沖縄出身の方も足を運んでくれていた。 19日には「ムーカッタ ウェアンパパオ(レストラン)」で翌日のコンサート告知を兼ね、飛び入りで歌わせてもらった。仏教国ということもあるだろうが、ここでも善意の寄付を頂いた。20日、いよいよ本番である。多少予定が変更となり、会場は「MAETAM SCHOOL」となった。朝一から、昨日、友達になったアゲ君、アチョン君と、廣瀬と私が同じ車に乗り会場設営に向かった。農場のメンバー、山から手伝いにきたラフの皆さんと共に汗を流した。
さて、夕刻からのライブはオリジナル曲構成と沖縄民謡構成の2ステージを行い、観客も3百人は集まり、校長、役所の方から警察に至るまで多くの地元の人で賑わった。また日本人もタクライの川口氏、小松先生と立教大学のメンバー、タイ義肢財団の大塚氏、NGOで活動され近々NPO法人を立ち上げるという足立氏など、ダイエ氏とゆかりの方々が集まった。こんなに多くの日本人が一度に訪れたことはないそうだ。
最後は21日、ローチョー村で星空ライブを行った。村人の温かさがこちらまで伝わる貴重な体験であった。村ではダイエさんの弟のイエラミさんとも話すことができた。日本ではあまり見かけないが、イエラミさんが子どもをおんぶして、あやしながら話しをした。ラフ族は長い間、半定住の生活をし、部族間の衝突もあったのだろう。男はすぐに戦闘できるように家にいることが多かったようで、そのため家事全般、男性が積極的に行っている。その名残があるようだ。
「Tokyo Joe’s」






「レストランにて」


「メタム スクール」







「ローチョー村」
ライブは大きく分けて4回やり、そのどれも成功だった。まず、バンコクでは、同志社大学神学者で牧師でもある原先生の呼びかけで、多くの在タイ日本人の方に出会うことが出来た。小田哲郎氏、中村真珠氏のブッキングにより「Tokyo Joe’s」にて3月15日に行った。寄付も多く集まり、私達のCDの売り上げ5000Bも全額寄付することができた。バンコクの情報誌に多数掲載(the Voice Mail誌、DACO誌、週間ベイスポなど)されたこともあり、沖縄出身の方も足を運んでくれていた。 19日には「ムーカッタ ウェアンパパオ(レストラン)」で翌日のコンサート告知を兼ね、飛び入りで歌わせてもらった。仏教国ということもあるだろうが、ここでも善意の寄付を頂いた。20日、いよいよ本番である。多少予定が変更となり、会場は「MAETAM SCHOOL」となった。朝一から、昨日、友達になったアゲ君、アチョン君と、廣瀬と私が同じ車に乗り会場設営に向かった。農場のメンバー、山から手伝いにきたラフの皆さんと共に汗を流した。
さて、夕刻からのライブはオリジナル曲構成と沖縄民謡構成の2ステージを行い、観客も3百人は集まり、校長、役所の方から警察に至るまで多くの地元の人で賑わった。また日本人もタクライの川口氏、小松先生と立教大学のメンバー、タイ義肢財団の大塚氏、NGOで活動され近々NPO法人を立ち上げるという足立氏など、ダイエ氏とゆかりの方々が集まった。こんなに多くの日本人が一度に訪れたことはないそうだ。
最後は21日、ローチョー村で星空ライブを行った。村人の温かさがこちらまで伝わる貴重な体験であった。村ではダイエさんの弟のイエラミさんとも話すことができた。日本ではあまり見かけないが、イエラミさんが子どもをおんぶして、あやしながら話しをした。ラフ族は長い間、半定住の生活をし、部族間の衝突もあったのだろう。男はすぐに戦闘できるように家にいることが多かったようで、そのため家事全般、男性が積極的に行っている。その名残があるようだ。
「Tokyo Joe’s」






「レストランにて」


「メタム スクール」







「ローチョー村」
2006年07月27日
タイ山岳地帯 少数民族 その4
メタム寮
ダイエ氏の一族が住むローチョー村は山道を20km登った山の稜線にある。山の麓にある農場から車で1時間は掛かる。当然、雨季ともなれば車の通行もままならない。(現在、山道の舗装が進められていたが、まだ半分といったところであろう。)そこで、子ども達が学校に通えるように麓に学生寮を作っている。寄宿料は無料で、食事代だけ年間一人当たり1500~2000B(日本円で5、6千円)で運営している。しかし、そのお金を払えない方も沢山いて、5、6歳の子は村の学校で授業を受けられるような施設があり、ほかの子は片道5kmを歩き、ホイナムクン村の学校に通うそうである。子ども達に教育の機会を!というダイエ氏に何かしら協力が出来ないものかと考え込んでしまった。私達一行も、そのメタム寮におじゃました。すぐにラドが出てきた。スイカも頂いた。すると子ども達がギターを持ってきて演奏を頼んできた。もうすぐ弦が切れそうな3弦に合わせて無理やりチューニングをして、「スタンド・バイ・ミー」を歌ったら、喜んでくれた。廣瀬にタッチすると即興で歌った「メジャメジャ ラド」が大ウケであった。今頃、流行っているのではないだろうか。




メタム寮の子どもたち
ダイエ氏の一族が住むローチョー村は山道を20km登った山の稜線にある。山の麓にある農場から車で1時間は掛かる。当然、雨季ともなれば車の通行もままならない。(現在、山道の舗装が進められていたが、まだ半分といったところであろう。)そこで、子ども達が学校に通えるように麓に学生寮を作っている。寄宿料は無料で、食事代だけ年間一人当たり1500~2000B(日本円で5、6千円)で運営している。しかし、そのお金を払えない方も沢山いて、5、6歳の子は村の学校で授業を受けられるような施設があり、ほかの子は片道5kmを歩き、ホイナムクン村の学校に通うそうである。子ども達に教育の機会を!というダイエ氏に何かしら協力が出来ないものかと考え込んでしまった。私達一行も、そのメタム寮におじゃました。すぐにラドが出てきた。スイカも頂いた。すると子ども達がギターを持ってきて演奏を頼んできた。もうすぐ弦が切れそうな3弦に合わせて無理やりチューニングをして、「スタンド・バイ・ミー」を歌ったら、喜んでくれた。廣瀬にタッチすると即興で歌った「メジャメジャ ラド」が大ウケであった。今頃、流行っているのではないだろうか。




メタム寮の子どもたち

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